デニス・ロッドマン(Dennis Rodman)のブルズ入りが
一番衝撃を受けたトレードだったことを書きました。
今回は、衝撃的というよりも

そこまでするか・・・
とドン引きしたトレードを紹介します。
(正確には1件のトレードだけではなく、複数の時期に行われた複数のトレード案件をまとめて1つにしたものを紹介するものです。)
それは、
1995~1996年にかけてのマイアミ・ヒート(Miami Heat)です。
1年も経たないうちにほぼ全員の選手が入れ替わってしまったんです。
具体的な選手の変更
1994-95シーズン最終戦(1995年4月23日)
の時点で、ヒートの契約選手は以下となっていました。
(シーズン終了時での平均得点順)
ケビン・ウィリス(Kevin Willis)
ビリー・オーウェンズ(Billy Owens)
ヴァーネル・”ビンボ”・コールズ(Vernell “Bimbo” Coles)
カリッド・リーヴス(Khalid Reeves)
マット・ガイガー(Matt Geiger)
ケビン・ギャンブル(Kevin Gamble)
ジョン・サリー(John Salley)
ハロルド・マイナー(Harold Miner)
レデル・エックルズ(Ledell Eackles)
キース・アスキンス(Keith Askins)
ブラッド・ローハウス(Brad Lohaus)
ケビン・プリチャード(Kevin Pritchard)
で、次が翌1995-96シーズンの
トレード期限を過ぎた直後の
1996年2月23日時点でのヒートの契約選手です。
(シーズン終了時での平均得点順)
ティム・ハーダウェイ(Tim Hardaway)
クリス・ギャトリング(Chris Gatling)
レックス・チャップマン(Rex Chapman)
プレドラグ・”サーシャ”・ダニロビッチ(Predrag “Sasha” Danilovic)
ウォルト・ウィリアムズ(Walt Williams)
カート・トーマス(Kurt Thomas)
キース・アスキンス(Keith Askins)
ボション・レナード(Voshon Lenard)
タイロン・コービン(Tyrone Corbin)
トニー・スミス(Tony Smith)
ジェフ・マローン(Jeff Malone)
ダニー・シェイズ(Danny Schayes)
ステイシー・キング(Stacey King)
はい、1年近く経って生き残っている選手は
色をほどこしたキース・アスキンス
たった1人しかいませんね。

いや、いくら選手の入れ替わりが激しいNBAでも
正味1年以内でここまで入れ替わった例はないですよ。
では、なんでこうなってしまったのか。
それは主に2回の大型トレードが行われたのです。
大型トレードその1
前年の1994-95シーズン32勝に終わったマイアミ・ヒートは
ニックスのHCを辞任したばかりの
パット・ライリー(Pat Riley)
を新HC・球団社長として電撃的に招聘します。
レイカーズ(優勝4回)、ニックス(準優勝1回)、ヒート(優勝1回)
のヘッドコーチを歴任したダンディーな外見の
あのパット・ライリーです。
厳しすぎる規律・練習、厳しいディフェンスで有名なライリーですが、
少なくともニックス、ヒート時代には
かなり積極的にトレードを行う人物で、
1995-96シーズン開幕直後に早速動きます。
シャーロット・ホーネッツ(Charlotte Hornets)とのトレードを敢行しました。
1995年11月3日
これは当然、アロンゾ・モーニングを中心に
新しいチーム作りをしようとする
新HCのライリーの意図が見えますね。
アロンゾ モーニング NBAカード 2007/08 Ultra SE Stars Memorabilia / Alomzo Mourning
何せ、前任のニックス時代には
パトリック・ユーイング(Patrick Ewing)
を明確に中心に据えてチーム作りを行っていましたから。
その前に指揮をとっていたレイカーズ時代には
カリーム・アブドゥル・ジャバー(Kareem Abdul-Jabbar)がいたので、
ライリーのチームには常にビックセンターあり
というイメージがありました。
今回もやはりビッグセンターを獲ってきたか、と思いました。
まあ、これくらいの規模のトレードはライリーの中では小さなものですね。
時系列的にも、あのデニス・ロッドマンの世紀のトレードのまだ1ヶ月後ですし。
大型トレードその2
で、ここからが本題です。
年が明け、トレード期限の直前に
ライリーはさらなるトレードを「断行」しました。
1996年2月22日
しかも今回は
同時に3チーム
ゴールデンステート・ウォリアーズ(Golden State Warriors)
サクラメント・キングス(Sacramento Kings)
フェニックス・サンズ(Phoenix Suns)
に対してです。
おそらく、このトレードの目玉は
ティム・ハーダウェイ(Tim Hardaway、必殺技キラークロスオーバー)
の獲得なんでしょうが、
Tim Hardaway Miami Heat NBA写真(サイズ: 8 ” x 10 ” )
一気に5人、チームの半分近くを入れ替えちゃいましたよ・・・。
いや、今までニックスの時に
5人だけ残してあと全部入れ替えるってことはありましたけど
シーズン中にここまでするかって感じですよ・・・
いくらアメリカだと
トレードの期限直前に大型トレードが発生しやすい
といってもね。
さすがにドン引きしましたねこの時は。
当時の第一報はNHK BS1の放送で
知ったんですが、司会の実況の人もびっくりしてましたよ。
このトレードには余談があって、
直後の試合、
あのシーズン72勝したブルズと対戦したんですが
新加入の選手たちが
サンズからのトニー・スミス以外
間に合わなくて、リーグ規定ギリギリの8人で試合したそうです。
ライリー曰く、
もしスミスも間に合ってなかったら
誰でもいいから(緊急)契約してた(“signed someone off the street”)
とのことです。
しかもこの試合、
72勝ブルズに勝っちゃいました。
ヒートは8人しかいなかったのに。
その他
とまあ、1995-96シーズンのマイアミ・ヒートは
開幕直前とシーズン後半で
ほぼすべての選手が入れ替わってしまったわけですが、
これらのトレードをきっかけに
ティム・ハーダウェイの復活につながりましたし、
何よりチーム自体も強豪へ変身していく布石となりました。
実は、ライリーの大型トレードって
あまり大失敗はないんですよね。
それに、ライリーは少なくともHCやってるときは
チームの一番中心となる選手は
絶対に途中で放出しなかったですね。
軸と決めた選手は絶対に動かさず
信頼も置いていました。
レイカーズ時代のマジック、カリームは勿論の事、
パトリック・ユーイング(ニックス)
アロンゾ・モーニング(ヒート)
に対しても、プレイオフで負けたときでも
メディアに対して彼らを
「最高のセンター」とはっきりと言い切ったりして
(おそらく、ユーイングやZOの力が足りないとか、カリームと比較されるような質問があったのでしょう)
確固たる信頼を示していました。
そうした意味ではブレていませんでしたね。
練習や規律は厳しすぎますけど・・・。
(練習に遅刻したモーニングをスタメン落ちさせるなど)
ライリーはニックス時代(1991~95)でも
正PGのドク・リバース(Doc Rivers、もはやHCで有名)が
膝の前十字靭帯と内側半月板を断裂する大怪我を負い
優勝への黄信号が灯った際に、
直ちにデレク・ハーパー(Derek Harper)を
トレードで緊急獲得したりしてました。
また、ヒートに来てからも
上述した96年のトレード以降でも、
を1対3のトレードで獲得したり
(これは大物選手のトレードとしてはライリーじゃなくても普通ですが)
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(これは1996年の「ドン引き」トレードと背景が似てて、シャックの周りを固める意味があったのかなと思いますね)
など数々の大型トレードを敢行しています。
またかw
って感じである意味もう免疫がついてしまいました。
【追記】
95~96年の大変革の中
唯一生き残ったキース・アスキンス(Keith Askins)は結局、
99年オフに戦力外→引退するまでヒート一筋でした。
つまりライリーに一度も切られなかったということで
これもある意味すごいですね。