NBA:ピート・マイヤーズ ― マイケル・ジョーダンの後継者?

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ピート・マイヤーズ(Pete Myers)

Pete Myers – Chicago Bulls History

 

90年代のNBAを熱心に見ていた方以外は

誰?
となってると思います。

 

もしくは、現在NBAを見ている方だと

ブルズのACの人でしょ?
と思われるかもしれません(実際にその人ですが)。

 

これがマイケル・ジョーダンの後継者?

本人には大変失礼ですが
正直スター選手とは言い難い地味な顔をしているような・・・。

実際私もマイヤーズを初めて見たときは
そう思いました。

 

それにせめてMJの後継者というなら

コービー・ブライアントは?
アレン・アイバーソンは?
レブロン・ジェームズは?

と思われるのが普通でしょう。

彼らもキャリア初期はそう言われる時期も
あったとは思います。

では「マイケル・ジョーダンの後継者」
とはどういう意味かというと

MJの突然の引退によって

ぽっかり空いたブルズのスタメンガード枠
入りこんだのがこのピート・マイヤーズというわけです。

MJ引退前後のスタメン

1992-93シーズンのほとんどで組まれた
ブルズホームでのスタメンの紹介順です。

ホーレス・グラント(Horace Grant)
スコッティ・ピッペン(Scottie Pippen)
ビル・カートライト(Bill Cartwright)※ここは少し流動的
B・J・アームストロング(B. J. Armstrong)
マイケル・ジョーダン(Michael Jordan)

次に、

MJが1993-94シーズン開幕前の10月に
突然引退をしてからの

1993年11月30日対サンズ戦
ホームでのスタメンの紹介順です。

ホーレス・グラント(Horace Grant)
スコッティ・ピッペン(Scottie Pippen)
ステイシー・キング(Stacey King)
ピート・マイヤーズ(Pete Myers)
B・J・アームストロング(B. J. Armstrong)

このように、MJがマイヤーズに入れ替わっているのが
分かると思います。

 

マイヤーズの紹介スピーチは

A Six
Six Guard
From Arkansas Little Rock
Pete
Myers

という感じでした。
当然ですが、聞き慣れない感がすごかったですね(笑)。

有名なMJのやつは

From
North
Carolina!
A Guard
Six-Six
Michael
Jordan!

て感じでしたね。

で、誰?

まず、私としては
MJ引退からこの試合を見るまで

MJの抜けたブルズのスタメンガード枠は誰が入るの?
ってことを考えたときに

ピッペンがガードに入って、トニー・クーコッチ(Toni Kukoc、この年に入団)がフォワードに入って、最後に紹介されるのがピッペン?

なんて勝手に推測してたんですが、

 

当時唯一のNBAの最速な情報源が
NHK BS1の試合やダイジェストのみで、

記憶はおぼろげなんですが

マイヤーズという選手が
ブルズのスタメンガードに入った。

という情報は入っていたと思うんですね。

 

で、上に記した推測はハズレと。

 

ただ、この1993年11月30日対サンズ戦の放送まで
ピート・マイヤーズの顔は知らなかったのです。
(MJが抜けても知名度抜群のブルズでしたから、それ以前にもブルズの試合は放送してたと思うんですが個人的にはこの対サンズ戦がシーズン最初のブルズ戦でした。)

で、実際にスタメン紹介で
マイヤーズの姿を見たとき、本当に

誰?
と思いましたね。

 

そりゃそうですよ、
前のシーズンはNBAにいなかった(ヨーロッパのリーグにいた)し
93年ドラフトにもいなかったし

ドラフト外から入団したルーキー?
と思いましたもん、最初は。

 

そしたら、
NBAキャリアのスタートは確かにブルズなんですが、
それは86年ドラフト6巡目120位で指名

その後はチームを転々としていた

というではありませんか。

 

そりゃ分かりませんよ、ってなわけです。

最後に紹介されてた選手

あと、上のスタメン表をご覧の通り、
1993-94シーズンのブルズのスタメン紹介は

最後がピッペンじゃないんですよね。

さすがにマイヤーズではなかったですけど。

 

普通はチームNo.1の選手が最後に紹介されると思うんですが

1992-93までは言うまでもなく
マイケル・ジョーダンが最後の紹介でした。

 

この1993-94シーズンでは
3ポイントシューターのB・J・アームストロングが
最後に紹介されています。

BJも、このシーズンはファン投票で
オールスター選出されてるんですけど。
(何と得票数がピッペンより多い!

それでも実績的にはピッペンがチームNo.1ですよね。
(翌1994-95シーズン、MJが復帰するまではピッペンが最後に変更されたようです。雑誌がソースで、実際に映像で見たことはありませんが。)

 

スタメン紹介の進行を細かく考える暇も無いほど
MJの引退が突発的だったのかな、と思いました。

余談

あとこの試合は

Suns 113-132 Bulls (Nov 30, 1993) Final Score - ESPN
Game summary of the Phoenix Suns vs. Chicago Bulls NBA game, final score 113-132, from November 30, 1993 on ESPN.

ブルズの圧勝だったんですが、

 

サンズ側では

HCのポール・ウェストファル(Paul Westphal)が退場になり、

 

代行HCとなった
ACのライオネル・ホリンズ(Lionel Hollins、グリズリーズ、ネッツHCなど)

までもが審判への抗議(笑いながらやんわりとでしたが)
退場となったという

 

サンズにとっては散々な試合でした。

 

代行HCは結局、ホリンズに替わって
ACのスコッティ・ロバートソン(Scotty Robertson)
という白髪の白人の人がやっていました。

スマホえんきん

最後にまたピート・マイヤーズについてですが

Myers: Pippen was the Jack of all trades
It was at the end of the 1993-94 season, in Game Six of the Eastern Conference Semifinals as the Bulls faced the Knicks at the old Chicago Stadium, when Pete My...

上のページを見つけて読んでみたら

マイヤーズはピッペンのことは学生の時から知ってて
高く評価しており、GMのジェリー・クラウス
にもそれを伝えて、ドラフトでの獲得につながった

とありますね。
あとは、

「MJの後釜」としての
プレッシャーはあまりなかった

ともありますね。

 

「MJの後釜」として働いた1993-94シーズンは

プレー時間もそれなりにあり
地味ながら仕事をしていたと思います。

 

次の1995-96シーズンもブルズに最後まで在籍してました。

ということは
このシーズンに電撃復帰した
マイケル・ジョーダンと一緒にプレーをしていた

ということになりますが、

 

95-96シーズンの後半以降は
おそらくロン・ハーパー(Ron Harper)の加入もあったかとは思いますが
プレー時間が極端に減り

同じコート上でプレーしていたのを見た記憶はありません。

 

その後またチームを転々とし1999年に現役引退。

引退後はコーチやスカウト業を主にブルズで行い、

2018年7月現在、
ブルズのACを務めているということで

 

何だかんだいって
シカゴ・ブルズと縁が深いバスケット人生となっていますね。

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